生きる意味と尊厳死

僕は正直に言って長文を読むのは苦手なのですが、頑張って読んでみます。この記事を引用させていただくのですが、この記事の流れからは逸脱しますので、予めご了承ください。

経由: ここがダメだよ米国の障害者福祉――日本で失われつつある「福祉も就労も」というグレーゾーン / 三輪佳子 / ライター | SYNODOS -シノドス-

この文章中で気になってしまったのが、この部分。

「生きるに値する命/値しない命」を本人ではない人々が選別し、値しないと判断したら尊厳死へ、という流れも活発です。

米国ではこういう流れが活発だということなのですが、日本でも似たようなものじゃないですか。障害者のことを税金泥棒とか、障害者なんていないなくなればいいとか言ってる人いるじゃないですか。日本で尊厳死なんか認められたら、どうなるか。もはや、言葉にできないほど悲惨な状況になるのではないかと思っています。

日本では、障害者はどちらかというと隠される方向にあって、偏見もまだまだ多くて、尊厳死を法律で定める段階ではないのです。秘密裏に殺されたらどうします。

障害者ができることは偏見が起きないように積極的に社会進出をするということですね。ただ、これが難しい。

でも、それって、社会進出できれば、「生きる意味」が「ある」ってことですよね。

最後に

この記事を読んでいただきありがとうございます。

タイヤキです。障害者と健常者の関わりを深める活動を進めて行こうと思っています。筋ジストロフィーという難病で人工呼吸器と電動車椅子を使っています。基本的に自宅で過ごしています。暇です。一日中パソコンの前にいますので、お仕事いただけるとありがたいです。

是非、コメントよろしくお願いします。記事に対する質問にもお答えできる範囲でお答えしようと思っています。

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